神社散策


薬園八幡神社
 祭神 誉田別命・息長帯比売命

 

749年(天平感宝元年)、大宮人のための薬草園があった場所(現在の大和郡山市塩町)に創建された神社で、旧社地には御旅所が残ります。現在の場所へは郡山城の築城の1491年(延徳3年)に移転されました。本殿は県指定文化財。境内には薬草見本園があり、50種余りの薬草が植えられています。地元では「やこうさん」と呼ばれています。

 

住所 〒639-1141 奈良県大和郡山市材木町32
 ℡ 0743-53-1355



源九郎稲荷神社
 祭神 宇迦之御魂神・源九郎稲荷大明神

豊臣秀長の治世、長安寺村の宝譽上人の夢枕に老翁が立ち、「自分は源九郎狐である。郡山城に自分を祀るなら城の守護神になろう」と告げたので、宝譽は秀長にこのことを告げ、城内の竜雲廓(現在のどの廓にあたるかは不明)に稲荷神社が建てられたと伝わります。

 

源九郎狐の名の由来は次のようなものです。源義経と静御前一行が頼朝側に追われ吉野に落ちてきた時、吉野の白狐が義経の家臣佐藤忠信に変じて二人を守り、その功を義経より讃えられ「源九郎」の名を贈られたことによります(義経千本桜)。

 

毎年4月の例祭で行われる、子供達が白衣に狐の面をかぶり、町中を練り歩く「白狐渡御」が有名です。

 

住所 〒639-1144 奈良県大和郡山市洞泉寺町15
 ℡ 0743-55-3830



郡山八幡神社
 祭神 誉田別命・比売大神・気長足媛命

 

柳八幡宮ともいいます。鎮座の年代は未詳ですが室町時代初めごろまで遡る由緒を誇ります。元々、郡山城本丸の西の台地上にありましたが、まず綿町に移転し、次に柳町が作られる1593年(文禄3年)頃現在地に移転しました。郡山城鎮護の八幡宮として歴代の郡山城主の尊崇をうけ、境内灯籠には「御城主御武運長久」と刻まれています。

また、近年ではグラブを集めて祈祷・を洗浄して海外の子どもたちに送る活動を行っており、野球やスポーツの上達を祈願する人も訪れるそうです。

 

住所 〒639-1134 奈良県大和郡山市柳4-25
 ℡  0743-52-2746



白坂神社
 倭建命(日本書紀では日本武尊)

 橘姫命(弟橘姫命)

 

由緒等の詳細は不明ですが、宮座には1538年(天文7年)ごろからの記録が残るとのことです。倭建命を祭祀する奈良県内で数少ない神社として注目されます。

 

住所 奈良県大和郡山市白土町591



賣太神社

 主祭神 稗田阿礼
 配祀 天鈿女命・猿田彦命

 

社名は「めた神社」。延喜式神名帳の賣太神社は当社と考えられています(式内社)。

稗田阿礼は古事記編纂に携わった人物で、学問の神として信仰されています。天孫降臨神話の中で、天降りしようとした邇邇芸命を天の八衢(やちまた)で迎えた神が猿田彦命で、猿田彦命に対応したのが天鈿女命です。また、天鈿女命の子孫が猿女君とされ、稗田阿礼の出た稗田氏は猿女君に出自を持つとされています。

毎年8月16日に、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ阿礼祭が行われます。

 

住所 〒639-1108 奈良県大和郡山市稗田町319
 ℡  0743-52-4669



和爾下神社

 祭神 素盞嗚命 大己貴命 櫛稲田姫命

社延喜式神名帳の和爾下神社二座の家の一座が当社にあたります(式内社)。下治道(しもはるみち)宮・下治道天王とも呼ばれ、また「下治道牛頭天王ト云フ」とする資料(筒井諸記)もあることから、江戸期には牛頭天王社として信仰されたことが強く推測されます。

和珥(わに)氏は和邇・丸邇などとも表記され、孝昭天皇の皇子天足彦国押人命(天押帯日子命)から出たとされる氏族で、5〜6世紀にかけて奈良盆地東北部に勢力を持ちました。同社から約3キロメートル東に天理市の和爾下神社(上治道宮)があり、両社は、和珥氏がその本貫地に祀った神社と考えられます。

 

住所 〒639-1115 奈良県大和郡山市横田町字治道23