箱本館「紺屋」
大和郡山市内最古の町家です。奥野氏が1728年に染物屋を創業しましたが1998年に廃業。そのまま解体に至るところ、市が買い取り箱本館「紺屋」として再生しました。現在は大和郡山市の観光の拠点として活用されています。
住所 〒639-1148 奈良県大和郡山市紺屋町19-1
℡ 0743-58-5531
開館 9時~17時
休館日 月曜日(祝日の月曜は開館、翌平日が休館)
祝日の翌日 年末年始
入館料 無料
町家物語館
大正13年に建てられた木造三階建て建築物。遊廓として建てられた物が、下宿屋にも使われました。2014年(平成26年)10月7日、登録有形文化財に指定されました。2018年(平成30年)1月10日からは一般公開されています。
住所 〒639-1144 奈良県大和郡山市洞泉寺町10
℡ 0743-52-8008
開館 9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日(祝日の月曜は開館、翌平日が休館)
祝日の翌日 年末年始
入館料 無料
修羅と石展示場
郡山城天守台展望施設完成記念事業として、お城まつりの間に実施された「修羅引き」の際、実際に使用された「修羅」と石が展示場敷地の四阿の中に展示されています。
住所 大和郡山市今井町18-3
大納言塚
市指定文化財。豊臣秀吉の弟、大和郡山百万石の城主大納言豊臣秀長の墓所。秀長は、1591年(天正19年)1月22日に郡山で没し、ここに葬られました。
豊臣氏滅亡後、秀長の墓所と位牌は東光寺(今の春岳院)に託されました。その後墓所は荒廃しましたが、春岳院の僧栄隆や訓祥が郡山町中と協力し、1777年(安永6年)、墓域を整備し五輪塔を建立しました。
住所 大和郡山市箕山町14-18
歌ヶ埼廟
市指定文化財。高さ約10mの丘陵の先端部を利用して作られた、郡山藩主本田忠常(1661~1709)の墓。忠常の養嗣忠直が建てたもので、大きな亀に乗る形をしています。発志禅院の管理になります。
住所 〒639-1058 奈良県大和郡山市外川町128
額安寺五輪塔(鎌倉墓)
額安寺の北約300メートルほどにある石造五輪塔群で、通称「鎌倉墓」とも言われています。8基の五輪塔がL字型に並んでいて、「額安寺五輪塔」として重要文化財に指定されています。1982年(昭和57年)の調査修復工事によって、第1塔が忍性菩薩、第2塔が善願上人の供養塔であることが確認され、中世の僧の墓制を知る貴重な遺構です。
住所 大和郡山市額田部北町1184
下ツ道歴史広場
古代の官道である下ツ道の、八条北遺跡の上に整備された新しい公園で、すぐそばに京奈和自防車道下ツ道ジャンクションがあります。駐車場と休憩所・トイレが整備され、八条北遺跡の詳しい説明板も設置されています。
奈良県遺跡マップ(地理院タイル使用)
八条北遺跡⇒Click
住所 大和郡山市八条町
大和郡山市八条町の下ツ道に架かる小さな橋は「嫁取り橋」と呼ばれ、次のような興味深い説話が伝わっています。
「こまの」という娘が、橋の近くを毎日通る男に恋をしました。ある機会に男を家に泊めたこまのは、夜に男の部屋に忍び込みました。が、男はこまのを拒否して逃げ、八条ヶ渕のそばの松に登ってやりすごそうとしました。渕の水面には木に登った男の姿が写り、追ってきたこまのは男が水に潜って逃れようとしたと勘違いをし、そのまま渕に飛び込みました。こまのは死んでしまい、その後、渕には大蛇が現れ、花嫁行列が通ると花嫁を引きずり込むようになりました。そのため行列は橋を通らなくなりました。
「古道下ツ道保存研究会」では男を「小雅之佑という山伏」としますが、「ふるさと大和郡山歴史事典」では「飛脚」とするなど複数のパターンが伝わります。他の地域で在原業平に仮託されるケースなどもあり、「安珍清姫説話」の類型として民俗学的な考察がなされることもある大変興味深い説話です。
住所 大和郡山市八条町